アナログ時計とデジタル時計とディスカリキュリア
ボクには算数障害がある。数の概念がわからないんだから、と医者は言う。その意味も分からない(笑)
今までそれとは全然切り離して考えていたのだが、時計の表示はアナログ表示が好きだ。例えば10:00に約束があるとして、時計を見たときに08:23と表示されていたら、約束の時間までどのくらいの余裕があるのか、あと何分で約束時間なのかがすぐにわからない。それぞれの位をいちいち引き算とか足し算とかしてみないと、すぐに頭に浮かばない。
あと何分で支度をして、何分歩いて行って、何分前に到着すればちょうどいい、とか予定がすぐに立てられない。
アナログ時計ならば、短針と長針と数字までの距離を見て、大体の行動予定を立てる。完全に視覚優位なのだ。針がここからここまでの間に支度をして、ここからここまでを歩いて、ここに来た時に到着する、と想像がつく。視覚で時間を計っているのだ。
自分の時計の見方はずっと気づいていたけど、それを算数障害と関連付けて考えるとこがすっぽ抜けていた。
小学校の最初で、1+1は2になります。と習った。
なんで2に「なる」のかがわからなかった。もうそこから躓き始めて、以来算数・数学は最低線を歩んできた。今思っても蕁麻疹が出そうだ。
大人になった今、あの時もしも、1+1は2と呼ぶルールです、と教えてくれていたら、もう少し算数に対してマシな思いがあったろうと思う。
リンゴがポツンとある。この状態を1と呼びます。
別のところにリンゴがポツンとある。この状態を1と呼びます。
このリンゴとリンゴを並べます。この状態を2と呼びます。そういうルールにしてあります。
1+1は2に「なる」んじゃない、1+1を2と「呼ぶルール」なんだ、とあの時分かれば、次のステップに行けたかもしれない。発達障害だって、少しずつ発達していくんだから。
自閉症スペクトラム、というように、各人によって症状は様々千差万別だ。どんな成長の仕方、発達の仕方をするか、わかったもんじゃない。苦手な部分だって様々だ。
ボクにはボクの、キミにはキミの、わかる世界わからない世界があって、それは定型発達者には到底想像できないだろう。