方向音痴と発達障害
前回よりさらに規模の大きな台風19号が近づいている。
みんな台風の進路予想図を見て、自分の住んでいる地域の被害を予想したり対策を準備したりするのだろう。
台風の進路予想図を見て、さて、ボクは自分の住んでいる場所がどこにあるかわからない。都道府県単位でわからない。進路予想図ってだいたい都道府県名が入ってないからね。
まあ、これはボク自身が努力を放棄した結果であり、発達障害の人が全部自分の住んでいる場所を白地図の上に示せないということではない。
ボクはかなりの、いや、酷い方向音痴だ。道を気まぐれに一本曲がれば、もう目的地の方角がわからなくなる。だから余計にいつも通っている道にこだわることになる。たとえそれが遠回りだとしても。
車で出かけるときは同じ場所でもかなり何度も行かない限りは毎回ナビを使う。
そもそも運転する行為に対する過集中で、周りの景色が目に入らず、まっすぐ前だけを向いているので視野が狭い。追突事故を起こさない代わりに、道を覚えるときに必要なランドマークや風景などが、全く覚えられないのだ。
たとえナビを使ったとしても、2次元で表示されるナビの地図と、3次元で動いている自分の現在位置感覚が合わなくて、変なところで曲がってしまったりして、割と大変なことになる。
「空間認識能力(くうかんにんしきのうりょく)とは、物体の位置・方向・姿勢・大きさ・形状・間隔など、物体が三次元空間に占めている状態や関係を、すばやく正確に把握、認識する能力のこと。」(Wikipediaより引用)
この空間認識の能力が決定的に弱いのが、ボクの発達障害の一つの特性だ。
ボクの住んでいる街には大きな国道がちょうど垂直に交差する場所がある。国道Aと国道Bには、それぞれ似たような大型店舗、チェーン店が並んでいるが、両方に全く同じ店のならぶそっくりな道ではない。
国道AにあるA店に行こうとおもって車を運転している。自分の頭の中にはA店の外見がちゃんと浮かんでいる。ところがボクは小さな道を抜けたあとで、一目散に国道Bに走り出す。その店にたどり着くまでの国道の様相が似ていて、A店が国道Bの先にあると、思い込んでいるのだ。むしろ、いま走っているのが国道Aだと思っている。
これが最初から、この道をたどって国道Aに出て、A店に行こう、と思っているときにはちゃんとその道へ行かれるのだが、たいがい道の名前なんて思いつかないもので、なんとなくの道の様子とA店が立っている場面が頭を占めている。混乱しているのだ。
どんなに行きなれた場所でも、始点と終点、その経路をしっかりと再確認してからでないと、目的地にたどり着けない。
ところが、普通だったら地図を確認すればどんなに道を知らない人でも現在地と目的地の位置関係くらいはわかると思うが、ボクの場合、2次元の地図と3次元の自分の世界を結びつけることが難しい。
いざ出かけてみれば、今、地図上のどこにいるのか、あるいはわからなくなったとしてもどちら方面へ向かえばいいのか、確実に誤認する。空間認識に決定的に弱いのだ。
これは発達障害の診断が下りていなかった子供の頃からもちろん続いていることだ。
迷子になる、空間認知が弱いのでモノにぶつかる、一番アホらしいのは、右足を出した後、左足をどこまで出せばよいのか見当がつかず、右足に自分の左足をひっかけて転ぶ。このパターンは母親が発見した。あまりによく転ぶので、じっとボクの動きを見ていて発見したそうだ。
今の子供たちには発達障害の診断だけでなく、そのケアや支援、療育が揃っているので、子供の頃から空間認知能力の訓練などもあるという。
さすがに大人になるまでに痛い目にあい続け、歩くのにはほとんど支障がなくなったが、発達障害ゆえの方向音痴は全く治っていない。ボクが発達障害だと知らない人には、ありえないほどの方向音痴な奴と思われていることだろう。
療育、という型にはめて「普通」の人々と同じように矯正することに対して、ボクは懐疑的なのだが、空間認識に関して言えば、訓練で治るものなら治しておいたほうがいい。仕事の選択肢が狭くなる。ボクはもうすっかりあきらめたので、自分が日本のどの辺に住んでいるかなんてどうでもよくなった。なんとなくこんな形の県が関東と言われるあたりにある、で十分だ。
空間認識はスポーツなどにも大いに関係するので、特に球技に苦手な人は一度自分の空間認識を疑ってみるといいかもしれない。